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  竪琴ひきの娘の歌

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 柴田斎訳 1995 シュトルム全集第1巻 p.26 村松書房

 シュトルム『竪琴ひきの娘の歌』は,好きな詩の1つです.
 柴田斎さんの訳がとても気に入っています.
 この詩はもともと,シュトルムの文名を決定的なものとした傑作『みずうみ』の新訂版(1851)に登場する詩です(たとえば柴田斎訳『シュトルム全集第二巻』p.46)

 作者ドイツの抒情詩人・小説家シュトルム Theodor Storm (1817-1888)は,キール大とベルリン大で法学を修め,弁護士,判事など法律家としても活躍したそうです.

 『竪琴ひきの娘の歌』について,シュトルム自身は「まるで空から降ってきたかのように生まれた」書いています.また,次のようにも述べています.
   詩集の中で最も美しい,最も深みのあるもの
   はかない存在のすべてが表現されている

 『竪琴ひきの娘の歌』には,たしかに生きることに対する「娘」のはかない,さびしい,孤独な気持ちが表現されています.
 一方,「娘」のそうしたありようを前提にしながら,そこから「娘」の今をとらえ返してみます.
 すると「娘」の今,ここでの一瞬の美しさが,かけがえのないものとして胸に迫ってきます.
 シュトルムが述べるように,この詩に,はかない存在のすべてが表現されているとするなら,世界のすべてのものが,今,ここで,他に代えがたい美しさをもって存在している,ということがこの詩から読みとれるでしょう.

 また,色さめる「明日」をいつ訪れるか分からない「翌日」と解すれば,「今日」,すなわち今,ここは生き生きと、充実しているのです.
 「死すときは ひとりゆく」.寂寞感,無力感のみが結論されているようにも読めますが,それは「死すとき」のこと.「死すとき」までは,「このひととき」として,「わがもの」なのです.今,ここで,わたしは「主人公」として鮮やかにあることをこの詩は明確に宣言しているといえます.

 はかない,孤独なありようであるからこそ,今,ここにあることがかけがえなく美しい.こう書いてしまうと,よくあるロマンチックな存在論です.
 ただ,ここでは,即今,此処,自己を徹底し,真空無相から真空妙有,そして真空妙用へといたる境涯の,すべてのものが移りゆくことを眼前においた表現として,心に留めたいと思います.
 参 考:
 柴田斎訳『シュトルム全集第一巻』解題,1995,村松書館
 柴田斎訳『シュトルム全集第二巻』解題,1984,村松書館
 関泰祐訳『みずうみ』解説,1953,岩波書店(岩波文庫)
 川崎芳隆訳『みずうみ・三色すみれ』1971,潮出版社(潮文庫)
 高橋義孝訳『みずうみ』1953,新潮社(新潮文庫)
 石丸静雄訳『みずうみ・三色すみれ』1966,旺文社(旺文社文庫)

 盧山烟雨浙江潮

 山のあなたの空遠く
 「幸」住むと人のいふ。
 噫、われひととゝ尋めゆきて、
 涙さしぐみかへりきぬ。
 山のあなたになほ遠く
 「幸」住むと人のいふ。         カアル・ブッセ

 盧山の烟雨、浙江の潮
 未だ到らざれば千般の恨み消えず
 到り得て、帰り来たなば、別事無し
 盧山の烟雨、浙江の潮         蘇東坡

 私たちの実存的あり方は,すでに,十分に示されてきていると,しばしば感じさせられます.これらの詩にも,十牛図の一部とも重なる意味深い内容が描かれています.

 ところが,それらになかなか気づけない.気づいてみても、すぐ忘れてしまう.
 「見えぬけれどもあるんだよ」というか,「あるんだけれど見えないの」ということでしょうか.
 この問題の原因もまた,「帰り来たなば、別事無し」で表現されています.

 もうすでにそこあるものに,どう気づけばいいのか?
 どうすれば忘れずに,心に留めておけるのか?
 この困難な作業に,芸術は強力な力を貸してくれます.
 その力を借りるために,もっともっと,芸術に親しまなければ,と考えるこのごろです.

 赤い砂漠

 さまざまなものを覆い隠そうとして盛り上がるかのようにも見える鮮やかな色の砂.このページの写真に写る風景は,サウジアラビアの首都リヤド郊外にある有名な「赤い砂漠」です.
 ちなみに,アントニオーニの同名タイトル,初カラー作品の発表年は,私の誕生年と同じです.

 その赤い砂漠に独り立つ女性.2000年3月.「隠す」ために身にまとう黒いアバーヤが砂の色によく映えています.

 私は彼女のことをよく知っています.
 いや,「よく知っている」なんて形式的な表現で,彼女のことはほんの少ししか分かっていないといえるのかも.十分時間をかけて知ろうとしない態度が,彼女を隠している?
 砂漠 アバーヤ 怠惰

 人間にとって大切なものの1つが,秘密.それは内的な自己そのもの.
 たとえ,他人のことを「よく知っている」といっても,すべてを知ることはできません.
 「すべてを知って欲しい」なんて,親との分離以前への退行的要求,「あなたのすべてが知りたい」は自分勝手な取り込み的同一化の欲求かもしれません.
 たしかに,秘密の共有は,成人にも共通した基本的な願望です.
 でも,相手の秘密をそのままにして成立するところに,親密性の健全さがあります.
 彼女のことをよく知ろうとしないことは,怠惰じゃない,と思いたい.
 参 考:
 小此木啓吾『笑い・人みしり・秘密─心的現象の精神分析─』,1980,創元社